
『夢』-(否定的な意味で)実現度の低い思い。時に、空想。妄想。
『ヴィジョン』-より計画的な実現度の高い思い。意思。目標。
この違いを理解できてない人ってどれくらいの割合なんだろうか?
違い以前に、明確に異なる両者が存在していることを理解できていない人も多いのではないだろうか?
自分の身近にこのような人がいると、とても厄介なものである。
しかもその人が、とても影響力のある立場にいるとすれば、尚のさらである。
影響力を具体的に排除していくのが望ましい。
一例を挙げてみよう。
僕は人生の目標として、『幸せな家庭を築くこと』を願っていた。
そのことを、ある人に話すと、「結婚に夢見る夢子ちゃんなんやね」と笑われたものだ。
その人は、自分より15も年上の人生の先輩。
結婚もし、家庭生活も営み、離婚してそれを清算し、酸いも甘いも経験してきたことを誇らしげに語る。
それを聞いても、僕には泣き言のようにしか聞こえない。
何故なら、元来、僕の考える家庭円満の秘訣は、『男は男らしく、女は女らしく』、その役割分担の中でしか共存はあり得ないと考える。
その人を見て、その不完全さは見るに耐え難いものがある。
説明しよう。
『幸せな家庭を築くこと』に文頭に述べた『夢』などはない。
そこにあるのは現実的な日常生活。
夢のようなものとして存在するのは、実は結婚という夫婦の契約の上で共有する目標としての『ヴィジョン』。
その『ヴィジョン』を一つ一つ実現していくことに幸せを感じる、家庭。
それが『幸せな家庭』なのである。
これが明確に共有できていないと、夫婦は糸の切れた凧のようにさまよったり、場合によっては絡み合って共に堕落していくのである。
これはなにも結婚生活に限ったものではない。
会社という社会集団であったり、趣味の集いであったり、人と人の関係が組織を構成する際に指針となるものなのである。
その人にとって、自分はいまだに『夢見る夢子ちゃん』らしいが、僕にはどうにも、その人自身が崩壊してゆく家庭を経験したというトラウマを乗り越えられない、『悪夢にうなされる悪夢子ちゃん』としか見えない。
もしくは、いまだに『夢』を追い、建設的な『ヴィジョン』をもてない『夢子ちゃん』なんだなと思ってしまうのである。
ゆえに僕は、その人に対して、哀れみの気持ちで接してきた。
しかし、もうとっくに哀れみなどは尽きている。
どうも、その辺が理解できていないようで困ってしまう。
しかし、僕自身、前述で、[『幸せな家庭を築くこと』を願っていた。]と過去形で書いているように、諦めが支配しつつある感じです。
あまりにも魅力のない女性を見すぎた所為かも・・・。
自分にできることは、自身の『男性的魅力を高める』こと。
・・・まあこんなとこで、愚痴書いてる時点でじゅうぶん女々しいよな・・・失礼しましたxx;
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