2010年7月18日日曜日
2010年4月21日水曜日
distance
"間合い"
最近、この"間合い"が大切な事がわかってきた。
どうやら、自分はこれができてなかった。
昔はそれを意識しなくともうまく回ってきたのは、偶然以上のなにかがあったからかもしれない。
しかし、それを失った今。それが大切な事が痛いほどわかる。
もともと嫌いな物に囲まれて育ってきた自分は、嫌な物と一定の距離を保つということが身につきにくかったのだろう。
それは、嫌な物を感覚的に拒絶するという行為を成熟させなかっただけでなく、むしろ、嫌な物に囲まれるのが当たり前という間違った常識を構成し、危険な環境に身を投じる無鉄砲さの一因となったのである。
騙されたり、虐げられたり、自分の感知しないところで望まないことをされていたり、そういう悪しき行為にさえ鈍感であった。
人は言った"仏の○○"と。
あの頃の自分は好きだ。
それでも、すべてがうまくまわっているようだった。
しかし、そんな時代は失われたようだ。
人の悪しき行為を流せない自分がいる。
一つ一つに囚われ、内なる怒りを増殖させ続けている。
しかも、一つ一つの悪に裁きを下せないので、全部を憎む傾向があるようにさえ思える。
そんな自分を形容して言うなら、"鬼の○○"だろう。
ここでこの"間合い"が大事になる。
悪なるものとの距離を保ちながら見極め、自らの良心を育まねばならない。
それを拡大させ、もういちど宇宙を覆うレベルに育ててみなきゃ。
義務ではなく、権利として。
最近、この"間合い"が大切な事がわかってきた。
どうやら、自分はこれができてなかった。
昔はそれを意識しなくともうまく回ってきたのは、偶然以上のなにかがあったからかもしれない。
しかし、それを失った今。それが大切な事が痛いほどわかる。
もともと嫌いな物に囲まれて育ってきた自分は、嫌な物と一定の距離を保つということが身につきにくかったのだろう。
それは、嫌な物を感覚的に拒絶するという行為を成熟させなかっただけでなく、むしろ、嫌な物に囲まれるのが当たり前という間違った常識を構成し、危険な環境に身を投じる無鉄砲さの一因となったのである。
騙されたり、虐げられたり、自分の感知しないところで望まないことをされていたり、そういう悪しき行為にさえ鈍感であった。
人は言った"仏の○○"と。
あの頃の自分は好きだ。
それでも、すべてがうまくまわっているようだった。
しかし、そんな時代は失われたようだ。
人の悪しき行為を流せない自分がいる。
一つ一つに囚われ、内なる怒りを増殖させ続けている。
しかも、一つ一つの悪に裁きを下せないので、全部を憎む傾向があるようにさえ思える。
そんな自分を形容して言うなら、"鬼の○○"だろう。
ここでこの"間合い"が大事になる。
悪なるものとの距離を保ちながら見極め、自らの良心を育まねばならない。
それを拡大させ、もういちど宇宙を覆うレベルに育ててみなきゃ。
義務ではなく、権利として。
2010年4月6日火曜日
consideration

子供の頃、ピアノの音が嫌いだった。
姉が嫌嫌ながらに弾くピアノに深く心を痛めていた。
レコードで聞くピアノにそんな嫌な思いをすることはなかったのに。
思いは伝わる。
素晴らしい演奏とは音を聞かせるレベルではなく、思いを伝えるものではないかと思う。
一心不乱で物事に打ち込み、行為の中で雑念を忘れ、純粋になるほど、思いは姿を表す。
それが"道"である。
この間から、ピアノの先生方と交流があるため、どうもピアノに絡んだ話になっているが、もちろんピアノに限った話ではない。
武道やその他の~道も同じことだということについて、先日のエントリーでも書いているが、今回のエントリーで言いたいのは、日常生活において、この道を体現することについて。
実は、なにか特別なことをしている時にだけ、この"思いは伝わる"という状況ではなく、すべての時間、すべての行為において、この"思いは伝わる"という状況なのではないかということ。
雑念が多いほど、その雑念へ思いのパワーを漏電させ、何かを成し遂げるという結果から遠のくということ。
幼い頃から、自分の中で自分と話しつつけてきた自分のような人間は、どれほど多くのパワーを浪費してきたことだろう。
一心不乱で尚且つ、正しき方向への導きがあること。
それが尊ばれる"道"なのである。
2010年3月27日土曜日
Deterioration and Uneasiness
『不可能を信じれば劣化する。
望ましくない結末を心に描けば不安になる。』
人は本来、無限の可能性を持っている。
自らの本来望むべき姿を見失い、
それを求める事すら忘れるということは、
不可能を信じている事に他ならない。
それは自身の劣化として目に見える形で現れる。
一方、自らの思いを制御できず、
いたずらに望ましくない結末を思い描くなら、
潜在意識に刻まれている望ましい方向性と衝突し、
心を乱し、不安が訪れるだろう。
あなたの劣化と不安はおおむね上記のような仕組みで出来上がっている。
信じようと信じまいと、
思いを形に出来るという人間が誰しも持っている機能から、
目をそむけるのは得策ではない。
望ましくない結末を心に描けば不安になる。』
人は本来、無限の可能性を持っている。
自らの本来望むべき姿を見失い、
それを求める事すら忘れるということは、
不可能を信じている事に他ならない。
それは自身の劣化として目に見える形で現れる。
一方、自らの思いを制御できず、
いたずらに望ましくない結末を思い描くなら、
潜在意識に刻まれている望ましい方向性と衝突し、
心を乱し、不安が訪れるだろう。
あなたの劣化と不安はおおむね上記のような仕組みで出来上がっている。
信じようと信じまいと、
思いを形に出来るという人間が誰しも持っている機能から、
目をそむけるのは得策ではない。
2010年2月16日火曜日
twilight sea
2010年2月14日日曜日
destruction and rebuild
"破壊と再生"
小泉構造改革が掲げたテーマである。
このテーマは実現され、言葉通りに自民党はぶっ壊れた。
小泉氏の自爆テロは実現したのだ。
劇場型と言われる彼の政治手法の中で、国民は踊らされ、挙句じわじわと苦しみのスパイラルの中へと放り込まれた。
彼のテーマを打破する哲学は、豊かさと安寧の上に劣化した思想ゆえに忘れ去られ、このスパイラルを脱する糸口を見つけるのは容易ではなかった。
しかし、気がついた。
本来、再生のための破壊は必要のない事に。
無の境地に至り、自らの必要なものチョイスし直せば、理想的な自分を再構築できることに。
無の境地に至る道。それを"道"と呼ぶ。
それは本来この国では古来より、その価値を認められてきた。
剣道・柔道・合気道・弓道のような武道から茶道・華道に至るまで、その道は多様である。
昨日は、ピアノの演奏会を聴きに行ったが、無心にピアノを弾く姿はひとつの道、"ピアノ道"を感じえた。
無心の中に自分を解放し、深いレベルで理想的な再構築を行えば、心は本来の機能を取り戻し、この世は理想的な状態を表すだろう。
日本人は日の本にありて、自らの道を見出し、日々理想的な再構築を行う使命を担っている。
p.s.
破壊は完全なる消去の為であり、再生のための破壊などと言うものは、悪魔の戯言である。
稚拙な政治家の口車に乗ってはいけない。
小泉構造改革が掲げたテーマである。
このテーマは実現され、言葉通りに自民党はぶっ壊れた。
小泉氏の自爆テロは実現したのだ。
劇場型と言われる彼の政治手法の中で、国民は踊らされ、挙句じわじわと苦しみのスパイラルの中へと放り込まれた。
彼のテーマを打破する哲学は、豊かさと安寧の上に劣化した思想ゆえに忘れ去られ、このスパイラルを脱する糸口を見つけるのは容易ではなかった。
しかし、気がついた。
本来、再生のための破壊は必要のない事に。
無の境地に至り、自らの必要なものチョイスし直せば、理想的な自分を再構築できることに。
無の境地に至る道。それを"道"と呼ぶ。
それは本来この国では古来より、その価値を認められてきた。
剣道・柔道・合気道・弓道のような武道から茶道・華道に至るまで、その道は多様である。
昨日は、ピアノの演奏会を聴きに行ったが、無心にピアノを弾く姿はひとつの道、"ピアノ道"を感じえた。
無心の中に自分を解放し、深いレベルで理想的な再構築を行えば、心は本来の機能を取り戻し、この世は理想的な状態を表すだろう。
日本人は日の本にありて、自らの道を見出し、日々理想的な再構築を行う使命を担っている。
p.s.
破壊は完全なる消去の為であり、再生のための破壊などと言うものは、悪魔の戯言である。
稚拙な政治家の口車に乗ってはいけない。
2010年1月28日木曜日
No Limit!
俺は今まで環境が人間を作るという環境絶対主義者だった。
その人の周りの環境や状況を見るとその人をプロファイルすることが出来る。
逆にその人自身を見るとその人がどういう環境の中で過ごしてきたのかを知る事が出来る。
映画「7月4日に生まれて」は一人の人間がいかに環境の中でそう言う方向性を与えられ、その結果どうなっていくかが描かれていた。
環境絶対主義者にはとても受け入れやすい映画だった。
でも、そこにはホントの意味での出口はない。
よく出来ているが、なにかが違う。
ぬぐえない違和感・・・。
結局、それでは悟りなく救いなく全てを環境のせいにして環境に支配されるだけの人間なのだ。
今回気が付いたのは本当の悟りは環境を作るのが人間だということ。
今あるさまざまな環境でさえ、人類史の中で脈々と受け継がれ続いてきた環境を作るというリレーの結果の産物だ。
誰のせいでもなく全てが己れのせい。
何故なら自分には全てを越える能力が本来的に備わっているから。
それを知らず使わず活かさず、ただただ環境のせいにしているのは本末転倒なのである。
環境にすら影響を与え、自らの望むものを作り出す人間それがスーパー悟り人なんだ。
その人の周りの環境や状況を見るとその人をプロファイルすることが出来る。
逆にその人自身を見るとその人がどういう環境の中で過ごしてきたのかを知る事が出来る。
映画「7月4日に生まれて」は一人の人間がいかに環境の中でそう言う方向性を与えられ、その結果どうなっていくかが描かれていた。
環境絶対主義者にはとても受け入れやすい映画だった。
でも、そこにはホントの意味での出口はない。
よく出来ているが、なにかが違う。
ぬぐえない違和感・・・。
結局、それでは悟りなく救いなく全てを環境のせいにして環境に支配されるだけの人間なのだ。
今回気が付いたのは本当の悟りは環境を作るのが人間だということ。
今あるさまざまな環境でさえ、人類史の中で脈々と受け継がれ続いてきた環境を作るというリレーの結果の産物だ。
誰のせいでもなく全てが己れのせい。
何故なら自分には全てを越える能力が本来的に備わっているから。
それを知らず使わず活かさず、ただただ環境のせいにしているのは本末転倒なのである。
環境にすら影響を与え、自らの望むものを作り出す人間それがスーパー悟り人なんだ。
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