"間合い"
最近、この"間合い"が大切な事がわかってきた。
どうやら、自分はこれができてなかった。
昔はそれを意識しなくともうまく回ってきたのは、偶然以上のなにかがあったからかもしれない。
しかし、それを失った今。それが大切な事が痛いほどわかる。
もともと嫌いな物に囲まれて育ってきた自分は、嫌な物と一定の距離を保つということが身につきにくかったのだろう。
それは、嫌な物を感覚的に拒絶するという行為を成熟させなかっただけでなく、むしろ、嫌な物に囲まれるのが当たり前という間違った常識を構成し、危険な環境に身を投じる無鉄砲さの一因となったのである。
騙されたり、虐げられたり、自分の感知しないところで望まないことをされていたり、そういう悪しき行為にさえ鈍感であった。
人は言った"仏の○○"と。
あの頃の自分は好きだ。
それでも、すべてがうまくまわっているようだった。
しかし、そんな時代は失われたようだ。
人の悪しき行為を流せない自分がいる。
一つ一つに囚われ、内なる怒りを増殖させ続けている。
しかも、一つ一つの悪に裁きを下せないので、全部を憎む傾向があるようにさえ思える。
そんな自分を形容して言うなら、"鬼の○○"だろう。
ここでこの"間合い"が大事になる。
悪なるものとの距離を保ちながら見極め、自らの良心を育まねばならない。
それを拡大させ、もういちど宇宙を覆うレベルに育ててみなきゃ。
義務ではなく、権利として。
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